畑から雪が消えると農家の人たちは我先にと春の耕しを始めます。田起しや田植えが年々早くなってきたと聞きます。温暖化の為とは思いませんが田舎の人も慌しくなって来たのかと心配です。この地では稲から野菜類に至るまで年に一度の収穫です。
農業の実践授業に復習は無し、しかもその時々は年に一度しかありません。しかも冬の畑も眠っていません、秋の収穫が終わったところで畑の働きに感謝してご褒美をあげること、新たな収穫を約束するための蓄えも必要です。それが「土つくり」です。
農業も5年経験しました、しかし満足いく結果は貰っていません。農業の技術、耕す・収穫するなどは慣れで出来ます。しかし、土が何を求めているか。野菜たちは…暑いのか、水が欲しいのか、そんな悩みを聞いてあげられないでいます。春の畑に立ち、秋のご褒美を思い出せないでいます。
桜の便りが聞かれる頃、信州・星糞の郷では雪解けが始まり、森林(もり)の湿原にザゼンソウが春の歓びを祈るように頭を出します。その横にイチゲやスミレなど小さな花たちが咲き誇ります。信州は唐松林が多く価値のない木と言われますが秋に葉を落とし、春のには草花に覆われる豊かな森になります。杉や檜などと比べ、地表にとっては環境に優しい樹木なのかも知れません。
やがて、ヒトリシズカやエンレイソウなど可憐な花を付けるころ、夏に謳歌する花たちが道端に伸び始めます。森の中は幼い落葉樹の葉が繁り小さな花たちは姿を消します。森林や高原では、春に一番乗りする小さな花たち、夏に向かい日の光が強くなるのを待ち構えて太陽を奪い合うように大きな背を伸ばす花たち。春を待ちわびる高原で樹木や花たちが着飾るための厳しい戦い。自然から教えられる事ばかりです。
白樺の樹液を知ったのは信州に移住した時でした。自分の敷地内にも数本の40年生位の木が大きく育っています。白樺の樹液は飲料として販売もされていますが採取して暫くすると酸っぱくなるので販売されているものは何か加工されたものと考えています。白樺の樹液はロシヤなど北欧では多く飲まれており、シロップに加工されて販売しています。
白樺の樹液は糖分が1%程度ですが、主成分はブドウ糖と果糖がほぼ等量含まれ、カリウム、カルシュームをはじめ、ミネラル類、有機質なども含まれています。白樺は根の生きた細胞によって地下水を濾過し、精製し、樹木に必要な成分を選択吸収しているとのことです。利尿、便秘、胃腸病、リュウマチなどに効果があり、コレストロールの低下の効能も言われています。
信州では盂蘭盆の迎え火、送り火に白樺の樹皮を用いていることも知りました。樹液の採取は雪解けの活発な活動の3月下旬から4月上旬の1ヶ月間位に限られる.
私の住まいは森林地域で、周囲は唐松に覆われています。敷地内はミズナラ、コナラ、カシワなどの木に混じって白樺があります。大きな栗の木が2本と松1本が彩りを沿えてバランスの取れた様相と自負しています。最初の家を建てた頃は木も小さく誇らしげに繁っていました。
その中で悠然と立つ松を見て親父が「周りの木を切らないと松が台無しになる」と言っていました、当時、都会では長年かかり大きくなった木を切るのは自然破壊だ!の言葉を信じ、そのままにしておきました。
現在、松独特の趣も無く杉や檜の様相で真っ直ぐ伸びています。別荘暮らしから30年、庭の樹木は大きくなりました。標高1,400mの山林の庭は元気に成長した樹木とその影で負けた木が枯れ朽ち果てていく光景が見られます。弱肉強食の世界は動物社会と教わってきましたが森の中で植物が弱肉強食の戦いを繰り返し、強く生きようとしていることを自然林のなかに暮らして学びました。
毎年繰り返す「山菜の中毒・死亡」事故…山菜を味わうベテランが多いと聞きます。ちょっと皆さんより先取りしたかった、、、美味しさは若芽が一番、旬です、、、の気持ちが事故を呼んだのかも知れません。
里でフキノトウの芽が出る頃、姫木平は雪の中、それから1ヶ月、ザゼンソウと一緒に雪解けにフキノトウを見つけて天ぷらで味わいます。
フキミソも最高です。タラノメが続きコゴミ、ゼンマイ、ワラビが芽を出します。なんと言ってもヤマウドが香り、味とも最高の山菜と賞賛しています。暗い洞窟の中で育てられた市販のウドと異なり自然の中で育ったヤマウドは茎の部分は殆んどありませんが新芽の天ぷら、佃煮風の煮物などが定番です。ヤマウドを葉だけ採取して塩漬けにして保存食とする習慣も山村ならではの生活の知恵になっています。
自然食ブームで山菜の需要も増えて山間で山菜を専門的に採取する人が増えています。町のスパーマーケットなどでパック入りの山菜を見つけます。過っては山村の春の収入源であった山菜も高度成長時代は労働市場が豊富で見向きもされずにきましたが人々の心の糧として見直されようとしています。都会の人や売らんかなの人たちの野放図な山菜採取が行われないようなルール作りが必要な時代になったのかも知れません。
山菜の季節に。。。 May 25,2005
標高800bの畑地での野菜作りは4月末に・・・ジャガイモ、ネギの植え付けから始まります。5月の半ば頃までは遅霜に注意しながらの作業になります.家庭菜園なら対応も出来ますが大きな畑ではある程度の犠牲を覚悟して先を争った作業が行われます。寒暖の差の激しい天候で芽の出た作物が霜に打たれてしまった話しが後を絶ちません。暖かな春の日差しに誘われて芽を出した山菜なども葉の先端を枯らしているものを見かけます。
年に一度だけの農業体験が始まりました、堆肥を入れ肥料を施して種の植え付けや、苗の植え込みなどの作業になります。農家の人たちは毎日の作業を天候と相談しながら進めていますが「俄か百姓」は短期速成が優先される作業になってしまいます。
耕しました、肥料は入れました、種は蒔きました、苗は接木にしました、等を手際よく進めてしまい小さな畑の作業は直ぐ終わってしまいます。
畑の言い分や、野菜達の言い分は何にも聞いてやっていません。畑にも野菜たちにも聞いてもらいたい事が一杯あるようです、、、年々収穫時に満足できなくなってきました、土に異変が起こっているのかも知れません。農作業は仕事では無く創作・・カルチャー・・の意味が解ったような気がしてきます。
春の農作業
May 26, 2005